船橋晴俊先生を思う

2017年の活動報告です。

原子力市民委員会の座長でいらした船橋晴俊先生が無くなるまで唯一教鞭を執られていた大学。環境社会学の立場から市民に寄り添い、「科学技術や経済の方向性のみでは人間は幸福になれない。そのために市民と市民側の学者も入り議論する場を作らなければならない」と言われた。音楽を愛されヒューマニストで多くの人々から人生の師と仰がれる方だった。原発事故を命を懸けて総括され歴史に残る提言をされた。学問の責任を真っ正面から果たされた。そのどこまでも平らで幅の廣い立ち位置に子ども達も(二宮での学習会で)魅了された。大磯町で育たれ二宮育ちの夫とは高校の同級生であった。曰く「皆とは断然別格の頭脳と人格」先生の愛された大学を心から尊敬する。戦争は政治の失敗、学問の失敗だ。既にそこまで人類は辿り着いたはずだ。