「子どもを真中に据える社会を作るために」今こそ少人数学級を求める

毎年中地区教職員組合から少人数学級を求める陳情が上がっており、毎年国に二宮町議会から実現のための国庫補助拡大を求める意見書を出しています。

本9月議会にも中地区教職員組合から教職員の方が趣旨説明に来られ、コロナによる学校全面撤退後、再開にあたり20人の半数登校になった好影響を強調されました。子ども達をきめ細やかに見れること、子ども達ものびやかに落ち着き不登校の子が登校するなど二宮でも見られた状況を訴えコロナ感染対策としても今こそ少人数学級を進めなければとうったえられました。

 

長期休校後の学校再開時に20人のクラス編成が実地され、子ども達や保護者、先生たちにしっかりと好影響の手ごたえがあったことは注目すべき事実です。

社会が大きくコロナ禍をイノヴェーションに向けて動く中多くの弊害が指摘され事実多くの子どもたちに 重大な被害が出ている現在の学校教育の体制に抜本的なメスを入れるべきです。少人数学級と国の支出の拡大は子ども達と教員のかたがた 双方の環境改善に直結します。何よりも困難な社会に送り出さなければならない子ども達に生きる力をつけるために本当にやるべきであるのは文科省の推進するコミュニティスクールや小中一貫教育、放課後子供教室、等の周辺環境改善ひょりもまず、一人一人が自分らしくまさにアクティブでいられるような出力のためのディスタンスのある教室です。イタリアでは十数人のクラスは完全インクルーシブを実現しています。視察に行ったまさに自治の学校「朝鮮学校」でも小学校から中学校まで幼稚園と変わらない人数で人権が大きく保障されていると感じました。やはり日本の学校教育の形は軍隊のDNAを感じる。ゆえに同調圧力や画一化が進む土壌となった。50年前くらいまでは学校を一歩出れば隙間やカオスや自然があふれる世界が広がり自由な遊びの子ども社会があった。子ども達は伸び伸びと羽根を伸ばしゆったりの子どもの時間がながれた。50年で社会は激変した。種が大きく失われた。子ども達が自殺をするようになった。大人が子どもを虐待するようになった。社会にに不寛容が広がった。種が失われていくのになぜ自分たちの種が保たれると思うのか。

「日本は子どもの天国だ」とは江戸時代以降の一時期日本に訪れた外国人の多くが指摘した日本の特色だった。

日本人が優秀であると言われた根源はここにあるのではないか。社会に子どもを慈しむ母性があふれていた。

全国的に非常にインパクトのあった「映画みんなの学校」、二宮町が小中一貫教育の視察に行き非常に生徒たちが生き生きして幸せそうであったという大原学園、北欧で子ども達の幸せ度、成績、創造力、生きる力に於いて優秀なデータが出ているイエナプラン等の教育体制全て少人数学級です。

財務省が少人数学級の優位性についてエビデンスがないという見解を示している様だが日本の教育予算の少なさは先進国で群を抜いている状況。まして県下でも二宮町の教育予算は底辺にあるという実態です。

9月決算議会で学校は自治事務であり自治の裁量で教員や指導主事配置に独自予算を付けるよう要望しました。

子どもを真中に育てる町に二宮町はなるべきです。

何よりも国がコロナ禍に大きく反応し、全面撤退した学校教育が現在密な状態の教室運営を漫然と続けることにむしろ驚愕しています。教育こそ最も投資すべき未来にむけた事業です。改革を求めます。