津久井やまゆり園事件を考える

2016年7月31日 01時05分 | カテゴリー: 活動報告

昨日息子と話した。息子は高校2年、「進化は一握りの少数が鍵を握っている。人と違うことは意味のあること」と。
私は出産時の話をした。高齢出産で、妊娠時に母が非常に心配し、(母も高齢だったので切実だった)不安に耐えきれず私に毎日感情的に訴えた。
私はお腹を擦りながら「頑張ろうね、頑張ろうね」と声をかけた。
忘れられない光景がある。
実家の近くに15世紀頃の神社の跡地と古墳の跡地が連なった丘陵があり、豊かな森に魅せられて毎日散歩していた。
午前中なのに前方を酔っぱらいらしい男性のふたり連れが千鳥足で歩いていた。
「朝っぱらから」と警戒しながらも多少の憤りに似た気持ちで、追い抜き際にその支え手の酔っぱらいであろう男性の横顔を見てはっとした。予想とかけ離れた横顔だった。
仏像のようだった。慈愛と尊厳に溢れた父親の横顔。支えられて歩いていたのは父親よりもはるかに大柄な成人の障害のあるーもっとよい言葉はないのかー息子だった。
歩きながら後悔で涙が頬を伝わり止まらなかった。障害のある子どもを育てながら親は自らの無限の鉱脈を深く掘り、何千倍もの力を汲み上げて生きて行く。子とより良く生きるために。これを進化と呼ばずして何だろう?千年に1人というるこの世に気づきある聖人と同じ仕事だ。あの横顔が全てを語った。今でもくっきりとあの横顔が浮かぶ。
人間は他者を思いやり、理解することで進化を遂げてきた種であると生物学者が言っていたのを先月聞いて目から鱗が落ちる思いがしたことがある。長い人間の歴史への洞察とこれから私達が何処に向かうのかを示唆する視点だ。
息子は「人間は進化していない」と言う。
史上最悪の事件だ。思い上がり、狂信、大量殺人、やり場のない思考停止の怒り、いじめ、暴力、大量の情報と大量の傍観者 。

今日も息子とそして家族と話そう。私達は傍観者ではなく共に生きる仲間、人間だ。

尊い命を奪われた方々とその方々が紡いだ進化した多くの幾層もの深い人の環を思う。